この物語は城陽でのワイナリー設立という一大プロジェクトを自ら手がける松本真氏を記者が追い、記者の主観で描いていく現在進行中のストーリーである。
畑一面、風にそよぐ緑の葉。その葉の下には豊潤な実が光る。
美しさに心が澄んでいく。それもこれも今は亡き親父、そして彼の意思を継ぎ畑で汗を流してくれた妻のお陰だ。妻は親父の最期の世話も率先してやってくれ、忙しい日々の中、彼を畑に連れて来てくれた。溢れんばかりの感謝の気持ち―。だが、そんな中でも目の前の課題と対峙しなければならない。
今年は特に衛生状態に気を配り、美しい畑を目指して管理した。特に湿気が籠もり易い地面付近は極力風通し良く保った。しかしそれにも関わらず、今年も病気と無縁では無かったのだ。昨年とは異なる症状だった。
プロの農家に尋ねたところ、「気持ちは分かるが、コントロールするには “農薬” が必要だろう」と苦い表情を崩さない。カビや腐敗のリスクも考慮すると、確かにその選択肢であらゆる問題が一気に問題解決に近付くだろう。どこまで自分の理想に近いやり方で、やりたい事を具現化するか。葛藤の狭間にたゆたう夢を見つめる―。
思えばこれまで自分は様々な事をやり遂げてきた。いや、実のところ何かをやり切ったという満足感は一度も感じていないのだが―何かを形にする度、「やり遂げた」と評価してくれる人達がいたのである。今回のワイナリー計画はどこまでやれるか。安易な目標ではないが、ここまで来たら必ず何らかの形にはしなければならない、そう感じていた。父の思いを背負い、周囲の期待や責任を受け止めて。
9月4日、午前5時。いよいよ収穫の時。まだ暗いうちからハサミを手に格闘開始。黙々と作業を続ける。次第に汗が滲み、筋肉が痛み始めた。
今年は試験的に多くの房を残してみた。昨年、一昨年はブドウの収量が少なかったので、今年は反対に思い切り量にフォーカスしてみようと考えたのだ。何かの最適値を追求する時は、まず両極に振り切りそれぞれの結果を見てから、その真ん中辺りに狙いを定めて探っていく。そうする事で自分なりの答えに辿り着く筈だ、形而下学的な学びにおいても、形而上学的な思考においても。
ブドウに関しては残した実の量が多いほど多くの人達にワインを楽しんでもらえる訳だが、一方で実一つあたりの糖度は下がる傾向にある。さらに栽培過程で多くの栄養が必要になる為、葉を多く残さなければならず湿度が籠もり易いという難しさもあった。
夜が白々と明けてきた。太陽が昇ると共に続々と農家の方や仲間達が手伝いに来てくれた。作業が一気に加速する。有り難い。いつも皆に支えられていると、つくづく感じる瞬間である。
畑は綺麗な実が付いている所と腐った実の多い所に分かれていた。理由は分からない。もしかすると樹勢の強さが関係しているのかもしれなかった。
ある程度ストレスが掛かった樹勢の弱い木は、別の場所へ飛び立とうと実を甘くして鳥達に運ばせる。経験上、このシンプル且つ明快な理論は正しそうに思える。勿論、樹木自体の生命力を考慮すると幾らでも弱くコントロールすれば良いという訳でもない。
そんな事を考えつつ黙々と作業を進めていると、ふとコンテナが足りない事に気付いた。それ程多くのブドウが採れたのだ。期待を大きく上回る収量。多く採る事を今年の目標の一つにしていたので、まずそこは達成、現時点では及第点と言ったところか。
親父の声が蘇る。
「ちょっと、落とし過ぎたんちゃうか?」
昨年は病気の為、多くの房を落とす事になった。しかしそこまで落とし切らなくても良かったのではないか、来年はもっと残してみてはどうか、そんな話をしたのだった。
今年は頑張ってちゃんと残しましたよ、貴方の言っていた通り。