龍、ワニ、いんげん豆…!?知れば知るほど萬福寺!【特集/京都宇治】

黄檗宗大本山萬福寺の画像

京都府宇治市にある黄檗山萬福寺。一歩足を踏み入れると「ここは中国!?」と錯覚してしまう、さまざまな魅力のつまったお寺です。

今回はそんな萬福寺についてご紹介。色んな「なるほど!」が登場しますよ~。

知れば知るほど萬福寺!

 

目次

  1. 隠元禅師のすごい人気
  2. 現代の生活も隠元禅師のおかげ!?
  3. 宇治の「中国」
  4. 異国の顔立ち!
  5. ワニと女神、白虎と鬼。
  6. ダイナミックな龍の身体
  7. 放生池から出てきたのは…
  8. お酒を飲んだら入れない!?
  9. 見どころたっぷり!天王殿
  10. さらに見どころたっぷり!大雄宝殿
  11. 獅子が吼えると…
  12. 魚に学ぶ
  13. 無為に時を過ごさぬように
  14. 通玄門の先は別世界!?
  15. 廊下の灯りを見上げると…
  16. 拝観情報
  17. 年間行事

 

隠元禅師のすごい人気

萬福寺の画像

さっそくですが、衝撃の事実です。

実は「黄檗山萬福寺」は、日本だけでなく中国にもあるんです!

…というか、もともと中国福建省に萬福寺があり、その名にちなんで宇治の萬福寺ができました。

時は江戸時代。

中国に隠元隆琦(いんげんりゅうき)禅師という、とっても立派な僧侶の方がいらっしゃる!

という事で、鎖国の時代でしたが「ぜひうちの国へ!」と日本から度重なるラブコール。

隠元禅師は中国の萬福寺で住持(住職)を務められた方でした。

そして4度目に手紙を送った時、ようやく日本に来てくださる事に!(わーい。)

1654年、お弟子さんたちを引き連れて長崎に到着し、4年後には江戸で徳川四代将軍家綱公に謁見。

やっぱり隠元禅師は素晴らしい方だったようで、徳川幕府からも、後には「妙心寺」住持の龍渓禅師や、後水尾法皇からも崇敬される事になります。

隠元禅師が「あと3年くらいで帰らないとなぁ」と考えていたところ、「いやいやずっとここに居てほしい!だからお寺を建てて!」という事に。

萬福寺本堂の画像

そういうわけで宇治にお寺を建てる土地を譲り受け、1661年に萬福寺を創建されたという事です。

それにしても隠元禅師ってすごい人気だったんですね!

 

現代の生活も隠元禅師のおかげ!?

隠元禅師は「禅」だけでなく、中国の色んな物や文化を日本に伝えました。

木魚の原形と伝わる開梆(かいぱん)や、現代人も日常的に目にしているフォント「明朝体」!

開梆の画像1

ほかにも色々ありますが、ここではちょっと食べ物について見ていきます。

まず隠元禅師と言えばいんげん豆!それにスイカ、れんこん、たけのこが食べられる孟宗竹(もうそうちく)!

隠元豆持参の画像

今ではいんげん豆やれんこん、たけのこが並んだ食卓は「ザ・和食」のイメージだし、夏に縁側でスイカにかぶりつく!というのも「日本らしい」風景ですが、実はむかし隠元禅師が中国から持って来て下さったんですね~。

さらに、中国風の精進料理「普茶(ふちゃ)料理」。

聞きなれない言葉かもしれませんが、その名のとおり「普(あまね)く」人々、つまり来た人たちみんなに「茶」をふるまうという意味があります。

当時日本では1人ずつお膳を畳の上に置いて食べるのが一般的でしたが、普茶料理はテーブルを使い、しかも4人で1つのテーブルを囲んで大皿をつつくスタイル。

テーブルでの食事はこれまでの習慣と大きく違い、当時の人たちは現代人がiPhoneを手にした時のような斬新さを感じたかもしれません。

お料理の内容は生麩、湯葉、豆腐、季節の野菜…とハイプロテイン&ローカロリー。(現代人にも嬉しい!)

蒲鉾もどき、鰻もどきなんかもあるんですよ!

「もどき料理」は現代人から見れば「ヘルシーにするため?」と思いそうですが、実は全然ちがう意味合いがありました。

身分の違う人たち同士がテーブルを囲んだ時なんかも、もどき料理があれば「これは何かな?」と話題に困りません。

みんなで楽しく食べられるように!そんな温かい工夫があったんですね~。

普茶料理は一般の方でも萬福寺でいただく事ができますよ!(基本的に要予約/現在は感染予防のため特別メニュー)

 

宇治の「中国」

売茶堂の画像
売茶堂

萬福寺の建築を見ると「中国に来たみたい!」と思いますが、それもそのはず。

日本人が中国に行って建築を学んだのではなく、「中国人の方が日本に来て建てたお寺」というところが大きなポイントです!

一つひとつの建物はもちろん、建物の配置にも中国様式が取り入れられていて、全体的に左右対称になっています。

今も当時の姿が残っているのはとても珍しい!ということで、多くの建物や額などが国の重要文化財に指定されているんですよ!

「菊舎句碑」の画像

境内にある「菊舎句碑」には次のようにあります。

~山門を 出れば日本ぞ 茶摘み唄~

むかし俳人菊舎尼が参拝した時のこと。境内で中国にいる気分になっていましたが、一歩外へ出ると茶畑から茶摘み唄が聞こえてきました。

「ああ、ここは日本だった!」と我にかえる、そんなギャップ。

「茶摘み唄」というのも宇治らしくて良いですね~。

駒の蹄影(あしかげ)の記念碑の画像

ちなみに総門の外には宇治茶の始まりだと伝わる駒の蹄影(あしかげ)の記念碑があります。(馬を歩かせてその蹄の跡に種をまかせたというお話です。)

 

異国の顔立ち!

萬福寺には多くの尊像がありますが、そのうち27軀を造った中国人仏師の方がいます。

范道生(はんどうせい)という方で、当時まだ26歳。(若い!)

一年で造り終えたと言われる「十八羅漢(らかん)像」(大雄宝殿に安置)はインド人風の顔立ちです。

初めは日本人仏師の方が造ってみたものの、日本人っぽい平べったい顔に…。

「インド人は彫りが深い」という事で、若き范道生が任されることに!

羅漢さんの画像

羅漢さんはお釈迦様のお弟子様で、それぞれに個性があります。

足元に猫!?いや、虎がいる羅漢さんは動物を操る神通力があるとも考えられます。(こちらの「虎」は、本物の虎を一度も目にした事のない日本人が想像して彫ったのではないかと言われています。)

羅睺羅(らごら)尊者の画像

そして、羅漢さんの中でも特に有名なのが羅睺羅(らごら)尊者!

お釈迦様の実子で、自分の胸を開けて中からのぞく仏顔を見せています。

「仏の心は自分の中にこそ宿る」という、とても有り難い教え。

その実感がない筆者はまだまだ修行が足りません…。

「仏の心は物にも宿る」という事なので、せめて持ち物を大切に使おうと思います。

「達磨大師坐像」の画像
達磨大師坐像

このほか日本人にもなじみ深い「弥勒菩薩坐像」(布袋さん)、隠元禅師の古稀を祝って造られた「隠元禅師像」、前歯が2本でもともと体全体が金色だった「達磨大師坐像」などなど…素晴らしい作品の数々を残した范道生。

一度帰国しふたたび日本に戻ろうとしましたが、長崎から上陸する事ができず、船の中で36歳の若さで亡くなりました。

萬福寺の作品が遺作となりましたが、生き生きとした作品を眺めていると「きっと造るのが楽しくて仕方ないほど没頭したんだろうな~」と思いました。だって何だか、目に見えないパワーが宿っている感じ!

 

ワニと女神、白虎と鬼。

萬福寺の総門の画像

萬福寺の総門は日本では珍しい、屋根の真ん中が一段高くなった中国様式です。

屋根の上には一見シャチホコに見える「マカラ(摩伽羅)」が。

「マカラ(摩伽羅)」の画像

マカラはインドのガンジス河に住んでいて、女神の乗り物とされている「ワニ」を指す言葉だそうです!(あ、本当だ!)

水辺の生き物の中で一番強いとされていて、アジアでは聖域結界となる場所でよく見られるそう。

丸い円の画像

そして、門をくぐって振り返ると丸い円が。

何気なく見落としてしまいそうですが、実は「白虎鏡」と言う風水的モチーフです。

「影壁」の画像

まっすぐ中へ進むと「影壁」と言う魔除けの壁があり、その手前で道を曲がる事になります。

実は、この白虎鏡と影壁は2つセットで意味があります。

と言うのも、邪悪な心を持った邪鬼が入ってくると、まっしぐらに突進して影壁にぶつかって、思いっきり跳ね返されて反対側の白虎鏡にどーん!とぶつかるそうなんです。(安心!)

邪鬼入るべからず。

智慧のある者のみ、その先の三門に至る事ができる!

角を曲がれて誇らしい気持ちです。

 

ダイナミックな龍の身体

萬福寺の参道に並んだ菱形の石の画像

萬福寺の参道に並んだ菱形の石は「龍の背のうろこを表してる」って聞いた事ありませんか?

蛇腹天井の画像龍のうろこを表した床の画像

ほかにも龍のお腹を表現した蛇腹天井(「黄檗天井」とも呼びます)やうろこを表現した床などもあり、萬福寺全体がダイナミックに龍の身体を表しています。

「龍目井(りゅうもくせい)」の画像1「龍目井(りゅうもくせい)」の画像2

総門の外にある2つの井戸は龍の目!その名も「龍目井(りゅうもくせい)」です。

さらに周辺の小川は龍の口、松は口ひげを表しているそうです。

ちなみにうろこを表す参道の石の上に立って良いのは本来、一番位の高い僧侶の方だけだそうなので…これから参拝する時は乗らないようにします!

 

放生池から出てきたのは…

「放生池」の画像

総門をくぐってすぐ右手に「放生池」があります。

「放生」とはその名のとおり、捕らえられた生き物を放して功徳を積むこと。

池は半月型をしていて風水上の役割があるそうです。

季節が良ければ美しい蓮も見られるそうですよ!

さて、この放生池には面白いお話があります。

萬福寺の造営に当たって、当時多くの人々が駆り出されました。

ところが皆、いまいちやる気が上がりません。

「普段の仕事ができないなぁ…。」「どうしてこんな事しなくちゃならないんだ。」

そんな時、隠元禅師がやって来て放生池の場所を掘るように言いました。

すると水が湧いてきた!

しかもさらに掘っていたら、中から石塔(お墓のような物)が出てきた!

そこには「無隠元晦(むいんげんかい)禅師」と書かれていました。

そこで現場監督に当たる方が機転をきかせ、皆を集めて言いました。

「これは『隠元無くんば晦(くら)し』と読むのだ。隠元禅師無しには五ケ庄のまちは栄えないのだぞ!」

…そうか、隠元禅師はここに来るべき人だったのか。そんな隠元禅師のためにお寺を建てなければ!

そんなわけで皆やる気を出し、すぐに境内が完成したと言われています。

 

お酒を飲んだら入れない!?

「三門」の画像

総門の次にくぐるのが「三門」です。

その名の通り三つの門が並んでいて、ここから中は脱俗の清浄域!火焔宝珠(かえんほうじゅ)の画像

屋根の上中央には魔除けの火焔宝珠(かえんほうじゅ)。正面には大きな額が2つ掛かっています。

「黄檗山」の額の画像「萬福寺」の額の画像

「黄檗山」に、「萬福寺」!

どちらも隠元禅師が書かれたものだそう。

柱を見てみると…

太鼓形の石が支えてる画像

太鼓形の石が支えてる!こんな所にも中国風の特徴が見られるんですね~。

門の側には修行者としての自覚や自省をうながす「禁牌石(きんぱいせき)」が。

「禁牌石(きんぱいせき)」の画像
「不許葷酒入山門」

書かれている内容は…

お酒を飲んでいる者や、(ニンニクやニラのように)匂いの強い食材を食べている者は中へ入る事ができない!

ひえ~っ!

 

見どころたっぷり!天王殿

「天王殿」の画像

三門の先には「天王殿」があります。

たすき勾欄の画像

こちらも中国の一般的な建て方で、欄干(転落防止の柵)はXの形をしたたすき勾欄。チベットや中国で見られるデザインで、日本では珍しいようです。

天王殿には中国と同じく「四天王」「弥勒菩薩」「韋駄天」が祀られています。

布袋尊の画像

布袋尊(弥勒菩薩)は七福神の中で唯一、実在した神様です。

契此という中国の禅僧の方で、いつも布の袋にたくさんの物を入れて歩いておられました。

困った人には袋から必要な物を取り出して与え、助かった人からはお礼をもらう…それを繰り返しておられたそうです。(ちょっとサンタクロースに似てる?)

さてさて、京都は「七福神発祥の地」と言われています。

七福神めぐりの神様は京都では「都七福神」と呼ばれていて、萬福寺の布袋尊もそのひとつ。室町時代から多くの人々に親しまれてきたそうですよ!

韋駄天様の画像1

そして布袋尊と背中合わせになっているのは、韋駄天様。

韋駄天様は足が速い事などで知られていますが、お釈迦様が亡くなった時、遺骨を持って逃げる鬼を追いかけて捕まえたというお話があるそうです。

そんな韋駄天様の目線の先には、本堂のお釈迦様。伽藍守護神としていつも天王殿から見守っているんです。

でも実は韋駄天様は斎堂(食堂)で祀られている事が多く、このように斎堂の外で見られるのは珍しいそう。

一体どうしてでしょうか?

韋駄天様の画像2

その手がかりは、皆さんご存知「ご馳走」という言葉にあります。

走るのが速い韋駄天様は、料理を準備するために方々を駆け回って食材を集めました。「ご馳走」という言葉はその事に由来しているそうです。

お食事の後に「ごちそうさま」と言うのは韋駄天様に感謝するという事なんですね!

ちなみに韋駄天様の周りに網が張られているのは「韋駄天様がイケメンでプレイボーイだったので、夜な夜な抜け出さないように」なんて説もあるそうです。

そして、四天王は迫力満点!「東」「西」「南」「北」の定位置がありますが、布袋尊が正面で南を向いておられるので45度ずつずれているそうです。

持国天(東)の画像
持国天(東)
広目天(西)の画像
広目天(西)
増長天(南)の画像
増長天(南)
多聞天(北)の画像
多聞天(北) 

 

さらに見どころたっぷり!大雄宝殿

「大雄宝殿(だいおうほうでん)」の画像

「大雄宝殿(だいおうほうでん)」は萬福寺の本堂!チーク材を使った歴史的建造物としては日本最大だそうです。

お釈迦様とお弟子様の画像

御本尊は「釈迦牟尼佛(しゃかむにぶつ)」。左右には十大弟子のうち「摩訶迦葉(まかしょう)」「阿難陀(あなんだ)」の姿があります。

「十八羅漢(らかん)像」の画像

「十八羅漢(らかん)像」も安置。

「大雄寶殿」の額の画像

建物を正面から見ると、隠元禅師が書いた「大雄寶殿」の額が目に飛び込んできます。

二重の火焔宝珠(かえんほうじゅ)の画像

屋根の上中央には二重の火焔宝珠(かえんほうじゅ)。

屋根も細部まで美しいですね!

蛇腹天井の画像

龍の腹を表した蛇腹天井、龍のうろこを表した床は本当に龍がいるみたいでカッコイイ!

「桃戸」「円窓」の画像

魔除けの力がある桃の実が刻まれた「桃戸」や、月と日を象徴した円窓も見られます。

「月台(げったい)」の画像

目の前に広がっているのは「月台(げったい)」!

昔は白い石が敷き詰められていて、月の光が当たるとキラキラ輝いて美しかったそうです。

佛教行事はインドでは陰暦で執り行われ、太陽神よりも月の神が上位とされているそう。

「罰跪香頂石(ばっきこうちょうせき)」の画像

月台の中心にある長方形の石は「罰跪香頂石(ばっきこうちょうせき)」と言って、お寺のルールを破った者は罰としてここにお線香を立て、石の上に跪(ひざまず)いて懺悔するそうです。

けっこう目立つし屈辱的だなあ…。

銀木犀(桂樹)の画像

月台の両側には月に生える樹木として中国で信仰された銀木犀(桂樹)が。

木と言えば、萬福寺にはお釈迦様が木の下で悟りを開いたという菩提樹や、中国の黄檗山に多く茂っていたため山号「黄檗山」の由来にもなった黄檗樹(和名は「きはだ」)なども植わっているんですよ!

並んだ円座の画像

さてさて、ここで萬福寺のお経について少しご紹介します。

日本ではお経をよむ時に「畳に座布団を敷いて座る」のが普通ですが、萬福寺では中国のやり方で、基本的に「床に円座を置いて立つ」スタイル。

お経の発音や節なども中国の言葉なので、日本人に馴染みのあるものとは全然ちがう!

さらに様々な鳴り物が使われて、日本のお経より賑やかです。

歌のようにも聞こえるのですが、実際にコンサートも行われているそうですよ!

 

獅子が吼えると…

「法堂」の画像

説法が行われる「法堂」には「獅子吼(ししく)」の額が掛かっています。

ししく…?

「獅子吼(ししく)」の額の画像

そう。お釈迦様が説法される様子はまるで「獣中の王である獅子が一度吼えると百獣すべてが従うようだ」と例えているんです。(格好良い…!)

卍(まんじ)くずしの勾欄の画像

建物はいつまでも見ていられそうな造形美。蛇腹天井も見られます。卍(まんじ)くずしの勾欄はデザインとしても美しいですね!

屋根は2020年8月、瓦から葺き替えられて創建当時の姿に復元されました。この時外された瓦は2021年6月完成予定の「(仮称)お茶と宇治のまち歴史公園」の覆小屋に使われています。

「(仮称)お茶と宇治のまち歴史公園」の画像
「(仮称)お茶と宇治のまち歴史公園」の覆小屋(2020年11月撮影)

法堂の左右には、西方丈と東方丈。

西方丈の画像
西方丈
東方丈の画像
東方丈

西方丈は1661年に建てられた、萬福寺の中で最も古い建造物のひとつです。

 

魚に学ぶ

萬福寺の「斎堂」(食堂)は修行僧の方が修行を行う「禅堂」と分かれています。

「雲版(うんぱん)」の画像

斎堂の前には青銅製の「雲版(うんぱん)」があり、お食事や朝課の時に打って時間を知らせます。

「開梆(かいぱん)」の画像

そしてその近くには、木魚の原形だと言われる「開梆(かいぱん)」!こちらは日常の行事や儀式などの時間を知らせる時に叩くそうです。

魚の形をしているのは「眠っている時も目を開けている魚のように、怠けず修行せよ!」という意味があるそうです。

口からは煩悩の玉を吐き出そうとしていて、開梆を叩く事がその手伝いになります。

ずっと目を開けている魚にすら煩悩はあるのだから、修行僧は一層修行に励まないといけない!

そんな厳しい教えがあるなんて、修行僧の方には尊敬しかありません。

ちなみにこちらの開梆は現在、三代目。かなり丈夫なようで、思い切り叩き続けると棒の方が折れてしまうそうです。一代目、二代目の開梆も割れていないそうですよ!

幅は約2メートル40センチ。両端に人が立つとソーシャルディスタンスの目安にもなるそうです。

 

無為に時を過ごさぬように

「巡照板」の画像

山内の5か所に「巡照板」という板が設置されているのですが、そこには次のように書かれています。

勤白大衆(謹んで修行僧に申し上ぐ)

生死事大(生死は事大にして)

無常迅速(無常は迅速なり)

各宜醒覚(各々醒覚して)

慎勿放逸(無為に時を過ごさぬように)

この巡照板、修行僧の方が起床時刻の朝4時、開枕(寝る時間)の夜9時に木づちで打ち鳴らして唱え、各寮舎を回るそうです。

朝4時起きという衝撃とともに、内容の厳しさにハッとさせられます。

私たちも日常の中で「これ、修行みたい」とか「修行だと思って」なんて言う事がありますが、本物の修行は想像以上に厳しいみたい!

 

通玄門の先は別世界!?

「通玄門」の画像

「通玄門」は奥深く玄妙なる真理、つまり仏祖の位に通達する門!

中は清浄域、重要な結界です。

武器となる物は持ち込めず、厳密に言うと杖もついてはいけないそう。

通玄門をくぐると石畳が。

よ~く見ると…

石畳の道の画像

同じ形の石が1つもない!

そして不思議な事に、この空間にいると空気がぴんと張り詰めているようで自然と気が引き締まります。それでいて気持ち良い!

「開山堂」の画像

真正面には「開山堂」。隠元禅師がお祀りされています。

桃戸の画像蛇腹天井の画像

こちらの建物にも桃戸や蛇腹天井、龍のうろこを表した床など本堂と同じような特徴が。

桃戸は魔除けの役割があるので外開きになっています。法要の際は、勢いよく開けて邪鬼払い!

卍(まんじ)の勾欄の画像

卍(まんじ)の勾欄も黄檗ならではの特徴のひとつ。

卍についてはよく知らなかったのですが、実は「ヴィシュヌ神」という神様の胸毛の形を表しているそうです。

そしてヴィシュヌ神の9番目の生まれ変わりがお釈迦様だということ。すごい神様なんですね!

「松隠堂」の画像

開山堂に向かって左手には「松隠堂」があります。

隠元禅師の隠居場所。

萬福寺には珍しく、和風の書院造!

一瞬「あれ?和風?」と思いましたが、実は最初からここにあったのではなく移設されたものだそうです。(なるほど!)

よく考えてみると、隠元禅師は63歳で外国(日本)にやって来て晩年を外国(日本)風の建物で過ごされた事になります。

そしてこの世を去られた後は、萬福寺の「寿蔵」に土葬されました。

「寿蔵」の画像

それだけ日本を気に入って頂けたという事なのかな?

いや、本当は帰りたかったけど皆に「日本にいて!」と言われたから覚悟を決めたのかな?

…と色々考えてしまいましたが、それだけ日本人から慕われていた事は確かですね!

そしてそのうちの一人である後水尾法皇は、隠元禅師へ帰依された証を「舎利殿」を寄進するというかたちで残しておられます。(舎利殿は開山堂の奥にあります。)

さらに隠元禅師は亡くなる前日、後水尾法皇から「大光普照国師」の称号を贈られました。きっと輝かしい気持ちで最後の日を迎えられたのではないでしょうか。

それから時が経ち、後水尾法皇もこの世を去られ、後に後水尾法皇の尊像が舎利殿に祀られました。

宮廷との関係は現在まで受け継がれ、今も毎年後水尾法皇忌が、50年ごとには大法要が執り行われています。

 

廊下の灯りを見上げると…

廊下の灯りの画像

廊下の灯りを見上げると「萬」、「煎茶道」、徳川家の葵の家紋が描かれていました。

「萬」の画像

「萬」は萬福寺の「萬」。

「煎茶道」は…

「煎茶道」の画像

萬福寺の境内に売茶翁を祀った「売茶堂」や煎茶道修行の道場「有聲軒」などがあり、毎年5月頃には「全国煎茶道大会」が行われているんです!

葵の家紋の画像

そして、徳川家綱などのおかげで寺地を得たという事で葵の家紋。「威徳殿」には徳川家の歴代の霊牌が祀られていて、毎年5月8日には徳川家綱公祥当忌が執り行われています。

さて、萬福寺の魅力は今回ご紹介した内容のほかにもまだまだ沢山あります。行くたびに違う魅力が発見できて、色々と考えさせられ、その時々の自分の心のあり方も映してくれる萬福寺。皆さんもぜひ実際に参拝して、ご自身で色々感じてみてはいかがでしょうか?

最後まで読んでいただき、有り難うございました!

 

黄檗宗大本山萬福寺 拝観情報

  • 住所 京都府宇治市五ケ庄三番割34
  • 電話 0774-32-3900
  • 拝観時間 9:00~17:00(受付 16:30まで)
    ※朱印所・売店 16:30まで
  • 拝観料 大人 500円/小中学生 300円
    ※30名以上で団体割引料金
  • 駐車場 有(有料)
  • HP https://www.obakusan.or.jp/

 

黄檗宗大本山萬福寺 年間主要行事

  • 1月 元旦~3日 新年年頭法要
  • 2月15日 涅槃会
  • 4月3日 開山祥忌(黄檗開山・宗祖隠元禅師祥当忌)
  • 4月8日 降誕会
  • 4月中旬 佛供講(信徒各家総回向)
  • 5月8日 厳有忌(第4代将軍徳川家綱公祥当忌)
  • 5月頃 全国煎茶道大会
  • 7月13~15日 中元法要(盂蘭盆会)
  • 9月19日 法皇忌(第108代天皇後水尾法皇忌)
  • 9月 彼岸中日 北向地蔵尊(霊園総回向)
  • 9月下旬~10月中旬 月見茶会
  • 10月5日 達磨忌
  • 10月中旬 普度勝会
  • 11月4日 慈愍忌(宗祖生誕日)
  • 12月1~8日 臘八大接心、成道会(8日)
  • 12月13日 煤払い
  • 12月31日 除夜の鐘 ※2020年は中止
合山鐘(がっさんしょう)の画像
合山鐘