人々の記憶、新たな挑戦。世代を超えて受け継がれてきた大阪屋マーケットの軌跡【特集 / 京都宇治】

大阪屋マーケットの外観画像

京都府宇治市・平等院からほど近い宇治橋通り商店街。海外からの観光客も訪れるこの地に、時の流れを飲み込むように口を開けて佇む建物がある。

―大阪屋マーケット。

入口の左右には洒落た本格ピッツェリアチャイの店、焼き鳥メインのちょい呑み屋。その賑わいを背に奥へと進むと、中ほどから先は現在改装中となっており、建物のそこかしこに過去の記憶が刻まれている。今回はそんな大阪屋マーケットの軌跡と大規模改修工事に踏み切った田辺氏の思いに迫る。

昔の面影残る大阪屋マーケットの画像

 

目次

  1. 一台のリヤカーから始まる物語
  2. 日常風景の中に
  3. 田辺氏の決断
  4. 新たなスタート
  5. 「人」の居る場所
  6. アクセス

 

一台のリヤカーから始まる物語

時代は遡り、田辺氏の四世代上、高祖父の代。始まりは一台のリヤカーだった。当時は荷車を引き、芋などの販売をしていたと言う。堅実に収入を集めての事だろう、彼はマーケット入口の土地を購入し小さな店を開いた。そこで得られた収入は自らの懐へは入れず、土地を奥へ奥へと買い進めたそうだ。全長50メートル。田辺氏は「後の世代の事を考えての事ではないか」と語る。

建物建設時の画像1

そして1962年、田辺氏の祖父の代で建物が建てられた。一階には複数の店舗、二階には食堂が開かれ賑わいを見せた。「大阪屋マーケット」の名の由来は分かっていないが、高祖父よりも上の世代が大阪から移り住んで来たとも考えられる。大阪に「田辺」の地名が存在するのも興味深い。

建物建設時の画像3※写真は大阪屋マーケット。真ん中左に立っているのは田辺氏の祖父だ。実はこの写真は過去から現在への思いがけないプレゼントでもある。建物の構造が不明確な状態で改修工事に手を出すのはリスクが高く、鉄骨の構造が明確なこの写真が工事を実行に移す決め手となったのだ。

 

日常風景の中に

当時は通路の天井が細長く開き、そこから差し込む光や天井に吊られたペンダントライトが美しかったそうだ。マーケットは盛況で、人の頭しか見えない程混み合い、正月などは特に大混雑だったと言う。すぐ側には塾があり、塾帰りの子供達が駄菓子や肉屋のコロッケを買い求める光景があった。当時は近くにあった市場と大阪屋マーケットのどちらかで買い物をする、というのがこの辺りの人々の日常風景だったようだ。その後、時代の移り変わりとともにスーパーマーケットやコンビニ等が周辺にも出来ていき、人々の生活も変わってゆく。

田辺氏の画像1
「大阪屋マーケット」田辺氏

田辺氏が小学生の頃、大阪屋マーケットの店舗はほぼ全て埋まっていた。布団屋、クリーニング店、花屋、漬物屋、八百屋、魚屋、肉屋、総菜屋…様々な店が集まっていた。その中に菓子や日用品を販売する店があり、その店の娘とよく遊んだと言う。真っ直ぐに伸びた通路は子供にとっては魅力的。長い通路を駆け抜けた。

そして今から11年前、田辺氏自身が大阪屋マーケット入口に珈琲屋「ノケイズウィオン」をオープンした。「旅先にこんな店があったら」と自らが考える、気軽に立ち寄れテイクアウトが出来る店だ。オープンから11年間、入口でこだわりの珈琲を提供し続ける事になる。

以前のノケイズウィオンの画像

一方、時代の移り変わりとともに人々の生活スタイルも徐々に変化していった。大型ショッピングモールや複合型スーパー等への注目が高まり、昔ながらの商店への関心は薄れてゆく。大阪屋マーケットも例外ではなく、今から3年前には5店舗、1年前にはわずか3店舗を残すばかりとなった。新たな店舗も入らず厳しい状況が続く。

その頃には田辺氏自身が結婚し父親になっていた事もあり、田辺家を守る責任感が一層強くなっていた。このままではいけない、何とかしなければ―。建物を解体するか、売却するか。改修すると今の時点で費用がかかり大きな負担を背負う事になるが、20年後の状況を考えるとそれも選択肢の一つになり得た。

 

田辺氏の決断

改装工事中の画像

そして、生き抜く為に大規模改修の決断をした。建物の魅力を信じたのである。

思えば高祖父の時代に始まり様々な時代を見てきた大阪屋マーケット。現在は父親のお陰で維持されている。単に維持すると言っても大きな建物ゆえ様々な苦労があったようだ。四世代上から代々受け継がれてきた、そんな背景も決断の大きな後押しとなった。

大阪屋マーケットの画像

改修工事の途中、少し珍しい内覧会を開いた。がらんと空いた大阪屋マーケットをライトアップし、建物の構造や独特の雰囲気を楽しめるよう工夫した立ち呑みイベントだ。この時限りの貴重な機会。そこに集まる人々は建物の魅力を語り合い、酒や音楽に酔いしれた。

立ち呑みイベントの画像

屋根の吹き替えは今回が2度目となる。当初の様に通路の天井を抜く事も考えたが、今では気候変動で夏が暑くなり過ぎている為、生鮮食品等を扱うマーケットでは屋根とエアコンを取り付ける方が賢明だ。その中で通路の天井に並ぶ蛍光灯のラインなど、以前の雰囲気を残す事にした。蛍光灯や電気がLEDに変わったのもまた面白い時代の変化だ。

 

新たなスタート

さて、改修と言っても今風のイメージを吹き込むのが良いのか、はたまた古びたイメージを維持するのが良いのか。全盛期の大阪屋マーケットを知る年代の方を気落ちさせたくもない。自分は何を求められているのだろうか。

大阪屋マーケット通路の画像1

悩んだ末、入口の左右に和・洋の店を配置する事にした。それが結果として、昔の雰囲気漂う酒場と新たな時代のピッツェリアという対極のイメージが調和、共存する面白さを生んだ。

自身の珈琲店はというと、通路中ほどに移転した。自ら塗装を施した壁に、昔からある剥き出しのガス管。以前あった魚屋の照明を譲り受け、綺麗に洗って再利用した。新しさの中に昔の趣が宿る。

ノケイズウィオンなどの画像
右下の写真は以前あった魚屋

聞けば「市が立つところには虹が出る」(網野善彦氏)という言葉があるそうだ。田辺氏はそれぞれの色を人だと解釈した。人が集まり、虹になる。大阪屋マーケットには様々な店舗が入るが、現在皆が信用でき、思いの強さなど共感できる部分が多い点で共通していた。そして、それぞれの個性という点においては様々な色が集まっている。そこへ日々訪れる多様なお客さんの色が加わり、虹の橋が架かるのだ。

※虹のイメージとともにプロモーションした2019年5月(改修工事前)の「大阪屋マーケットチャレンジショップ

新しい大阪屋マーケットのテーマは「ひとつ屋根の下」。ルールで縛るより、自然と皆が共存しようと思える環境にしたい。それがトラブルを防ぐ事にも繋がるだろう。

大阪屋マーケット通路の画像2

もともとテナントは一人でも経営できるイメージを持っていた。一人では小休憩で場を離れる事が難しいが、そこは店舗同士の信頼関係で「ちょっと見てて」と周りに言える環境にしたい。

実はそれは、記憶の中の大阪屋マーケットだった。「トイレ行ってくるわ。ちょっと見といて。」そんな声が聞こえてきたのを覚えていたのである。互いに繋がり合う信頼関係、そんな昔の記憶が今も心を温める。店舗の方には出来るだけ長く経営を続けてもらいたい。人件費を一人分で済ませる事が出来れば店の負担も減るはずだ。

田辺氏の画像2

良い店が集まれば相乗効果も生まれるだろう。現在、各店舗が自らコミュニケーションをとり合い、古き良き時代の大阪屋マーケットを再現できる環境が出来ている。今後もこの状態を基盤にしていきたい、と田辺氏は語る。互いの店舗を紹介し合い、客側も各店舗を訪れるなど皆が繋がり合えれば素晴らしい。その為にも田辺氏自身が時には悩み、様々な決断の場面で重圧を感じながらも日々奮闘している。

 

「人」の居る場所

そして現在、大阪屋マーケットを訪れる人々は「綺麗になったな」「明るくなったな」「あんた、ようやってるわ」などと温かい言葉を掛けてくれる。現在も60代以上の方が覗きに来てくれるのは当時の賑わいを知っているからだろうか。人々がまたこの場に集ってくれるのが嬉しい。

既に大阪屋マーケットには子供達の姿も戻ってきている。昔のイメージもあり駄菓子屋も入れたいと考えていたのだが、その店舗も近々完成予定だ。子供の小遣いでもマーケットに参加できる店。そう、大阪屋マーケットは誰でも参加できるのだ。

建物建設時の画像2

世代を超え、時代とともに歩んできた大阪屋マーケット。古き日々の記憶を抱き、まさに今新しい顔に生まれ変わろうとしている。昔と変わらず奥へ続く通路は人々の好奇心を掻き立て、迷い込むと「人」の持つ力と温かさに心惹かれる。そこでは今の時代に少し足りない物に出逢えるかもしれない。

※この記事は田辺氏や周辺の方々の話を基に作成しています。

 

アクセス


(京都府宇治市宇治妙楽41 大阪屋マーケット)

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