この物語は城陽でのワイナリー設立という一大プロジェクトを自ら手がける松本真氏を記者が追い、記者の主観で描いていく現在進行中のストーリーである。
2020年7月、黒とう病が発生。美しい翠色の果実に黒紫の斑点が付いている。その様子を目の当たりにした瞬間、腹の底から暗い澱が湧き上がるのを感じた。これまでの静謐な願いも虚しく、いきなり苦々しい現実を突き付けられたのだ。
しかし気落ちしてばかりもいられない。黒とう病はすぐに広がる。早めに手を打ち抑えにかかった。
更にその後も病気の房や成長の芳しくない房を中心に落とし、他の房の成長を促していった。毎日畑に通う妻。七月の空は目が眩む輝きを放ち、作業に勤しむ身体は畑に濃い影をポトリと落とす。ジリジリと焼き付ける太陽に皮膚を焦がし、汗にまみれ、倒れる寸前まで畑で踏ん張る。その甲斐あって何とかブドウは持ち堪えている様だった。
収穫前2週間の天候は結果に直接影響する。糖度が上がると腐り易くなり、雨の湿気で微細な傷からも腐敗してしまうのだ。それでも何とか黒とう病以外の病害は避ける事が出来ていた。
そしていよいよ収穫の日。
9月11日、早朝から作業を行った。手伝いに駆け付けた仲間達は松本氏のワイン造りに携われるとあって皆明るい表情だ。収穫に5時間、選別に24時間。ひたすら作業を続けた。
そして日を跨ぎ、そのまま大阪府柏原市の「天使の羽ワイナリー」へ。今年は約400kgを醸造する。収穫量にフォーカスした昨年とは反対に、今年は意識的に量を抑えた。両極での経験を元に最適値を導き出す狙いだ。
地道な暗中模索の日々が堆積し、やがて因果の収斂へ…そんなヴィジョンは頭の中で一筋の光をもたらしていた。
光の先に待っているのは、人々が共有財産として愉しめるワイナリーだ。皆が思い思いにワイナリーに関わり、そこから様々な物語が生まれ、利他的なエモーションが波及してゆく。
笑顔、喜び、新しいかたちのコミュニティー…そんな映像がほぼ明確に頭に浮かんでいた。良い兆候だ。以前にもこういった経験がある。何かに向かってがむしゃらに奔走していると、ある時具体的な映像がはっきりと浮かび、後にそれが具現化する。あとは行動あるのみだ。
11月下旬、スティル、スパークリングのワイン計300本が完成した。
今年はこれまでよりも複雑さを感じる出来に仕上がった。これまで何年もやってきた事がようやく形になってきたと感じる。いよいよ本格的に動き出す、そんな折に当の畑を手放すのは何とも複雑な心持ちではあるが、それを逆にチャンスと捉えた。そうだ、現状維持をしていては気付かぬうちに下降していくものではないか。
そんな事を考えているうちに、ワインは瞬く間に人々の手に渡っていった。
12月、新しい土地を見せて頂く。想像以上の広さに面喰った。聞くとこの辺りでは鹿などが出て芽を食むという。獣害へのアプローチも今後の課題となりそうだ。
新たな土地には新潟から「Cantina Zio Setto / カンティーナ・ジーオセット」の瀬戸氏も迎え、応援の言葉を頂いた。1月には工事に着手。プロジェクトは着々と進んでいく。其処には大きな倉庫が建っていた。
徐々に気候が春めいてきた3月のある日、朝から倉庫に出向いた。約30年ものあいだ閉ざされていた扉と対峙する。
「―よし。」
扉に手を掛け、躊躇なく一気に開けた。
その瞬間、何かの封印が解けたかの様に空間が転じ、一度に無数の音の波が寄せた。未来、過去。終わり、始まり。死、生。悲しみ、喜び―。
そして次の瞬間には全ての音が消滅していた。目の前には農業資材や耕運機、カカシや青谷梅林の看板など各々役割を持つ物たちが、その場の調和を保つように留まっている。
木漏れ日の様な温もりと静けさを備えた空間の其処かしこには、長い時を経た物語が息づいていた。
全体を見渡すと醸造所として使えそうな広さが有る。片隅に佇むタンクは、聞けば梅を漬けるのに使われていた物だと言う。ワインづくりに利用すれば、かつての城陽の物語をワインという新たな枠組みで再生出来るだろう。
30年間の沈黙を破り、いよいよこの土地の物語第二章が紡がれてゆく事になる。
【蔓の城】城陽ワイナリー計画
- 2014 プロジェクト始動~2017
- 2018 収穫~醸造
- 2018 秋
- 2019 春~6月
- 2019 9月~収穫
- 2019 選果・醸造~11月
- 2020 2月~梅雨
- 2020 7月~2021 春