縣神社の向かいに店舗を構える宇治茶の老舗、「堀井七茗園」(京都府宇治市宇治妙楽)。古くからの歴史があり、また宇治で茶の生産から販売までを手掛ける貴重な存在だ。
「七茗園」は、室町時代に足利将軍家が指定した優れた七つの茶園である。「堀井七茗園」はそのうち唯一現存する「奥ノ山茶園」を有す。
今回は「堀井七茗園」のオリジナル品種「成里乃(なりの)」改植後の初摘みに際し、六代目園主・堀井長太郎氏にインタビュー取材を行った。
―お父様(五代目園主・信夫様)の代には「奥ノ山茶園」に1,800本ほどの在来種が植わっていたということですが、まず当時の様子からお伺いしても宜しいでしょうか。
堀井氏:当時植わっていた在来種は、全て樹齢約二百年~三百年の古木でした。
―すごいですね。
堀井氏:在来種は人間と同じで個性があります。新芽の出る時期や形状などがそれぞれ異なる、個性の塊のような茶園でした。
―興味深いお話です。
堀井氏:在来種の複雑な香りを尊重される方もおられます。ところが戦後、在来茶園は減少し、揃った品質の茶を生産する品種茶園が増加しました。国が茶の品種登録を始めた時期とも近いですね。ちなみに一番有名な「やぶきた」は茶農林6号。実は1号は紅茶の品種なんですよ。
―それは意外ですね。お茶の品種について、もう少し教えて頂いても宜しいですか。
堀井氏:それぞれの品種は開発された各地方自治体―例えば京都府、静岡県など―によって更に枝分かれします。京都品種は覆い下栽培の玉露・碾茶が多く、煎茶の品種は少なくなっています。
―確かにこの辺りでは、茶園に覆いが掛けられている光景をよく目にします。
堀井氏:そうでしょう。そして戦後間もない昭和の時代には、ほとんどが在来種から選抜された品種となっていました。現在京都府が推薦している「あさひ」「さみどり」「うじひかり」「ごこう」なども全て在来種から選抜されたものです。
―なるほど。
堀井氏:ですが、現在は在来茶園がかなり減少した為、在来種からの新たな品種登録は珍しくなってきています。一方で、花粉同士の交配による新たな品種登録が各地でどんどん進んでいます。
―時代の変化を感じますね。
堀井氏:「奥ノ山茶園」は、父の代に改植を行うこととなりました。理由のひとつは、茶樹の老齢化が進み収量が減少していたこと。そしてもうひとつは在来種の特性上、個性が様々で能力給のお茶摘みの方々にとって不公平を生むことがありました。
―そこまで配慮されていたのですね。
堀井氏:そして、古い歴史のある茶園だということで、父はこれまで受け継がれてきたものを次の世代へ残そうとしました。約1,800本の中から毎年少しずつ選定を行い、選抜した品種を未来へ残すのです。
―それはすごいご決断―。
堀井氏:父は自ら審査や記録を行い、国・府が推薦する品種と比較しながら選定を行っていきました。そして長い年月を経て、最終的には碾茶向きの「成里乃」、玉露向きの「奥の山」の2種に絞り込みました。
―1,800本もの中から特に優れた2種を見出す…素人の私にも、並大抵の努力では成し得ないことだと想像できます。
堀井氏:それぞれの品種について様々な記録をつけては茶葉を蒸篭(せいろ)で蒸し、乾燥させ、審査・記録を行い、選抜を行う…その繰り返しです。茶葉は8割以上が水分なので、審査の際は、例えば新芽が100グラムあっても出来上がりは15グラムほどにしかならないんですよ。
―それは大変ですね。
堀井氏:当時のノートに細かい記録が残っています。丈に対しての新芽の数、芽の重さや収量、見た目、香りや味、茶がらの色など…。
―すごいですね。細かく数値化されていて、茶園を見ただけでは分からないそれぞれの特徴がノートの上では浮かび上がって見えます。素晴らしい品種は特に際立って見えますね。
堀井氏:「成里乃」や「奥の山」も当時は名前が付けられておらず、番号で記載されていますね。そしてそれぞれに高い点数が付いています。毎年記録をつけていたので、このようなノートがまだ他に10冊ほどありますよ。
―そうなんですね。貴重な資料を見せて頂き有難うございました。さて、このようにして「成里乃」や「奥の山」を見出された訳ですが、その後はどうなりましたか。
堀井氏:「奥ノ山茶園」で栽培し、品種選抜開始(昭和56年)から数えて約20年後に品種登録となりました。
―20年もの年月を経て、遂に品種登録を果たされたんですね。実際の現場はどのような感じでしたか。
堀井氏:国の審査官が実地検査に来られ、様々な観点から審査されました。「奥の山」は葉の色が濃く、また「成里乃」は成分分析の結果、テアニンと呼ばれるアミノ酸が通常の倍ほど含まれている特徴が明らかとなったことなどから、2種が品種登録されました。
―テアニンが2倍とは驚きです。「成里乃」と言えば、全国茶品評会で一位に輝きましたね。
堀井氏:全国茶品評会では順位が徐々に上がっていき、楽しみにしていました。そして2010年に奈良で開催された第64回全国茶品評会で、一等一席農林水産大臣賞を頂くことができました。
―地道な努力がこのように認められるなんて、何とも感動的なお話―。
堀井氏:こちらの賞は、国や行政が推薦する品種で受賞することはあれど、個人が見出した品種で受賞というのは珍しいことなんですよ。
―そうなんですね。そして更にその後もほぼ毎年入賞。信夫様や「成里乃」は、ドラマ『鵜飼いに恋した夏』の中でも描かれましたね。
堀井氏:あれは父が他界した数年後のことでした。本人もまさか自分がドラマに登場することになるとは思わなかったでしょうね。先ほどのノートなども撮影に使用されました。父の役を演じられたのは、先日お亡くなりになった佐川満男様でした。
―佐川満男様のご冥福をお祈り申し上げます。―
―そして更に、「成里乃」の品質の高さは世界でも認められているのだとか。
堀井氏:パリの日本茶コンクール「Japanese Tea Selection Paris」(2020-2021)のことですね。
―はい。こちらで金賞に輝いたということで、今や世界にも「成里乃」の名が知られていることになりますね。
堀井氏:品質を認めて頂いて、有り難いことです。
―ところで「成里乃」は碾茶(抹茶の原料)向きの品種ということですが、抹茶についても少し教えて頂けますか。
堀井氏:抹茶は「合組(ごうぐみ)」と言って、異なる茶葉をブレンドして販売することが多いですね。
―それぞれの茶葉の良さを組み合わせる―。
堀井氏:特に山手のお茶と川筋のお茶では土壌の違いで特徴が異なる為、私共茶師はそれらの色・香り・味などを見極めながら、例えばお家元好みのお茶に合組します。
―一定の品質に揃えて提供されるのですね。
堀井氏:そうですね。「成里乃」も当初、名前が知られていない間は合組に使用しておりました。しかし、強い旨味など特徴が際立っている為、そのまま味わって頂かないと勿体ないのでは、と思いシングルでの提供を始めたのです。
―実際に「成里乃」を頂くと、やはりその特徴をそのまま味わうのが一番の贅沢だと感じます。
堀井氏:苦味や渋味もほとんど無いので、抹茶のイメージを変えることにも繋がれば、との思いもありました。
―なるほど。
堀井氏:それ以降は現在までシングルでの販売を続けており、「堀井七茗園」の強みの一つとなっています。
―味や香りが素晴らしく、また室町時代からの遺伝子を受け継いだもの―。
堀井氏:物語やロマンも感じて頂ければ嬉しいですね。
―そんな「成里乃」ですが、今や様々な国のお客様からも高く評価されているのだとか。
堀井氏:特にパリでは「成里乃」を推薦して下さる方がおられて、非常に広まっています。また、タイにもその素晴らしさを広めて下さっている方がおられるようで、タイから「成里乃」を指名で買いに来られる方もおられます。有り難いことですね。
―そんな「成里乃」の改植を、今度は長太郎様が行われましたね。
堀井氏:2019年に挿し木で増やし、2020年に定植、そして今年初摘みを行うこととなりました。
―改植を行われた理由は何でしょうか。
堀井氏:ひとつは「成里乃」の需要増加に伴って、増やす必要があったこと。
―それはごく自然な流れに思えます。
堀井氏:それから最近の茶園などの動向を見ていると、味の良いものを作る為には50~60年ほどで改植する、というのが主流の一つになっていると感じます。改植を行う際には、改植後5年ほどは摘めないことなども考慮に入れて計画的に行っていく必要があります。
―なるほど。
堀井氏:人と同じで若いと勢いがあり、早く、大きく育つんですよ。「成里乃」も改植してからどんどん育ち、毎年成長を楽しみにしてきました。
―そうなんですね。
堀井氏:若いと言えば、「成里乃」の1年後には「あさひ」も改植しています。
―こちらの「あさひ」は昨年、「宇治市茶園品評会」幼木茶園の部で一等を獲得されて、京都府知事賞を受賞されていましたね。
堀井氏:そうなんです。
―それにしても、このように幼木・成木を区別されているということは、やはり大きな違いが有るということですね。様々な品種に樹齢の違い…お茶の世界は本当に奥深いですね。非常に興味が沸いてきます。
堀井氏:品種というのは個性があり、実に楽しいものです。「成里乃」も旨味の強さはもちろん香りも独特ですし、独自の特徴が際立っています。
―「成里乃」は本当に美味しいですね。
堀井氏:次の世代に誇れるものとして、また「堀井七茗園」の看板として出せるのは有り難いことです。
―「七茗園」の「奥ノ山茶園」、更にお父様によって紡がれた物語…と、正に唯一無二のものですね。
堀井氏:父は私達に一番の贈り物を残してくれました。今思うと、本当に考えられないような父親でしたね。
―今回お話を伺って、改めて感動致しました。そしていよいよ今年、長太郎様の手によって改植されてから初となるお茶摘みを行われるとのこと。現在のところ、出来は如何でしょうか。
堀井氏:今年は霜の害もなく順調に育ち、良いお茶になるのでは、と期待しています。
―それは本当に楽しみですね。そして楽しみと言えば、玉露向きの「奥の山」にも動きがあるのだとか。
堀井氏:「奥の山」には抹茶もあるのですが、今後は玉露一本に絞っていこうと考えています。こちらも旨味が強く、味の良い品種です。京都蒸溜所の「季の珠 玉露」にも使用されるなど、やはり玉露としての良さがあります。
―限定のプレミアムシリーズに使用されたのですね。
堀井氏:そうですね。また、宇治では玉露を碾茶に変える茶園が増えた為、宇治市・宇治で栽培された玉露は貴重なものとなっています。ですからこの地で栽培する玉露を残していきたい、また他に無いものを作りたい、と考えています。
―なるほど。ところで、玉露となると抹茶と違って茶葉を揉む工程がありますね。
堀井氏:「奥の山」は京都府の現代の名工に選ばれた方に少量ずつ丁寧に揉んで頂いて、美味しい玉露に仕上げて頂きます。
―それはまた特別なお茶ですね。今後も「成里乃」の初摘み、「奥の山」の改植などご多忙だと思いますが、楽しみもますます増えそうですね。今回は貴重なお話をお聞かせ頂き、誠に有難うございました。
(インタビューの内容は2024年4月28日時点のものです。5月3日、晴天のもと、「成里乃」改植後の初摘みが行われました。)