官・民・学連携でまちのビジョン描く「アーバンデザインセンター宇治/UDCU」、キックオフイベントを実施【京都府宇治市】

現在、京都府宇治市で官・民・学連携の「アーバンデザインセンター宇治╱UDCU」が注目されています。行政、地元企業、NPO法人、大学(※)教員・学生の方々などが地域の人々と共により良いまちづくりを行う取り組みです。

※京都文教大学・奈良女子大学・京都芸術大学・慶應義塾大学・東京大学・奈良文化財研究所

2021年4月17日(土)、活動拠点となる中宇治BASE(京都府宇治市宇治妙楽21-1)で、UDCUの一般社団法人としての設立と中宇治BASEのオープニングを兼ねたキックオフイベントが行われました。

中宇治BASEでのキックオフイベントの画像1

 

リモートを活用したリアル・オンラインハイブリッドでの実施となり、多くの参加者がまちづくりについての話に興味深く聞き入りました。

中宇治BASEでのキックオフイベントの画像2

また、チャット等も含めて様々な角度から質問や意見が飛び交いました。終了後もあちらこちらで会話が生まれ、様々な出逢いもあった様子。同トークセッションは4月24日(土)にも行われる予定となっています。

リモート会場の画像
中宇治yorinからもリモート参加

宇治エリアの画像

UDCUの構想はどの様にして生まれたのでしょうか?また、目指すまちのかたちはどの様なものなのでしょうか?ディレクターの宮城宏索氏(宇治観光まちづくり株式会社 代表取締役)にインタビューさせていただきました。

―UDCU構想に至ったきっかけは?

宮城氏:元を辿ると今から30年前、平成3年の話になります。滋賀県長浜市の黒壁スクエアに関係する知り合いがいた為、数年間に渡ってまちが変化していくプロセスを直接見る事が出来ました。それまで人が集まらなかったエリアに店舗がどんどん出来ていき、多くの人が訪れる様になったんです。それを見たのが最初の学びでした。

―当時、宇治の平等院周辺はどの様な感じでしたか?

宮城氏:平等院の観光客は観光バスで訪れ、他の場所に立ち寄る事なく帰る形が主流でした。平等院から市内に人が流れていなかったんです。でも「何年か経つと観光の形は変わる」と踏んでいました。団体行動よりも個別の旅行が中心になっていくのでは、と。そうすると電車で訪れる観光客は駅からまちの中を通って平等院に来る事になります。黒壁スクエアを見てきたので、それなら「平等院以外にも人が訪れる場所を増やし、点と点をつなぐ様に人が回遊するエリアにしなければ」と思いました。平等院と宇治上神社の間には宇治川が流れていますし、回遊性を上げる事で滞在時間を延ばしてゆっくり楽しんでもらえるかもしれません。

―理想のイメージに近い観光地はありましたか?

宮城氏:昔流行ったタレントショップが立ち並ぶような場所も、一つの企業の経済力でテーマパークの様に変わったエリアも、どこか違うと思っていました。イメージとしては黒壁スクエアに近いけれど、核になる物がないのでまたタイプが違う―。この様にあれこれ考えていた頃、近江八幡のたねやが注目され始めました。地元の投資も含めて、こういった形でお店が中心となるやり方も有るのだなと思って見ていました。

―なるほど。

宮城氏:ちょうどその頃、宇治でも中村藤吉本店が人の流れを変え始めました。この様な店が他にも幾つか現れたら、それぞれの店を目指して訪れる人が増えるだけでなく、まちに人が回遊するだろうと思いました。同じ宇治にある非常に集客力のあるパン屋、たま木亭も見てきて、この様にリピーターが付き何度も人が訪れる店は良いなと思いました。

―現在ではご自身が手掛ける複合施設、中宇治yorinがありますね。

宮城氏:中宇治yorinは2014年に構想がスタートし、2016年に完成しました。当時、選択肢としては二つ有りました。先にこのような複合施設を造るか、まちづくりセンターの様な物を先に造るか。早い段階で中宇治yorinの場所にご縁があり、こちらが先に進みました。そしてある程度人が訪れるようになり、同時期にインバウンドも増え、中村藤吉本店や伊藤久右衛門などもさらに集客力をつけていって…そんな中で少しずつ色々な事をやりながら現在に至ります。宇治橋通り商店街の大阪屋マーケットもポテンシャルがあるので、上手く改修すれば地元の方だけでなくレトロな雰囲気が好きな人達も訪れるかもしれない、などと話していました。同時期の2014年に宇治観光まちづくり株式会社も立ち上げました。

中宇治yorinの画像
中宇治yorin
大阪屋マーケットの外観画像
大阪屋マーケット

―そこまで長期スパンでまちづくりと真摯に向き合ってこられた原動力は何ですか?

宮城氏:自分の原点となっているのは震災です。神戸に行く機会が多かった中で阪神・淡路大震災が起こり、それまで行っていたまちが全部ぺしゃんこに潰れ、多くの方が亡くなりました。震災後にNPOセンターの立ち上げに入るなど色々経験する中で、自分の役割は福祉的なボランティアではなくまちづくりなのだと気付かされました。

―今回、UDCUというかたちで官・民・学連携にされたのは何故ですか?

宮城氏:以前、日本中にあるまちづくりセンターをイメージしながら周囲の方々に色々相談していた頃、平等院の宮城住職が東京大学に着任する事になりました。そして東京大学でUDC(アーバンデザインセンター)をやっている事を知り、宇治のまちづくりセンターもその枠組みに合わせてみようと思ったんです。一番の決め手はその仕組みでした。これまで様々な事例を見てきましたが、第三セクターの様な形で「官」だけとやると「官」に力が集中し過ぎたり、「民」だけだと利害関係の調節が難しくなる事があります。そこに大学を入れる事で官・民・学のパワーバランスがとりやすくなります。長い目で見た時に、時間をかけても民・官・学それぞれの力を得てバランスを取りながらやっていく方がサステナブルだという結論に至りました。

―拠点となる中宇治BASEは築70年の旧今村酒店をリノベーションされたそうですね。

宮城氏:実はこちらは以前から良いなと思っていた建物です。木の扉が開いた時に中が吹き抜けている様子を見て、「これ、良いよなあ」と思いました。有り難い事にこれまでのつながりや信頼関係によって貸していただける事になり、今から約1年前に具体的な話がスタートしました。

旧今村酒店 工事前の画像
旧今村酒店(工事前)

―「宇治市空き家再生・利活用コンペ」に通過し、「京銀まちづくりファンド」第1号にもなっておられますね。

宮城氏:これは補助金などが直接的な目的というよりも、地域の協力を得る事を大事にしてやっていきたい、という思いからです。地域に馴染みの良いやり方でやっていければと思っています。

現在の中宇治BASE
現在の中宇治BASE

―そして既に色々な準備を進めておられますね。

宮城氏:コロナ禍で計画通りには進みませんでしたが、これまでにもオンラインの活用や動画コンテンツの作成などを行ってきました。

―東京、奈良、京都の学生の方々が「外」の視点から中宇治エリアの調査・分析をするという取り組みもありましたが、いかがでしたか?

宮城氏:こちらの内容は宮城俊作先生が行っておられるのですが、建築をやっている現場の人間としては設計などを行う人々の物の見方や考え方というのは非常に興味のあるところでした。実際にコンセプトブックとして学生の方がしっかりとした内容にまとめておられますし、ここに住み続けていると気付かない事もあるので「外」からの視点は重要だと感じました。それに、若い方の着眼みたいなものは自分には無いものがあります。次なるヒントを出してやっていくのはその世代かもしれないですよね。

コンセプトブックの画像

―今後、中宇治BASEはどういった使われ方をしていくのでしょうか。

宮城氏:コロナ禍では一度にあまり多くの人を集める事は出来ませんが、地域の人々の交流拠点としてレンタルスペースを設けています。例えばセミナーやワークショップ、展示会など、まちづくりについての話し合いや文化的な発信を行う場として様々なかたちで活用していただければと思います。前年度に建物西側を改修したので、今年度は東側の1・2階を皆で考えながら造っていこうと思っています。

―コミュニティキッチンやコワーキングスペース、小商いのインキュベーションスペース等も考えておられるとか。

宮城氏:何かやってみたいと思っておられる方がコミュニティキッチンを使用されるのも良いですし、その中で例えば中宇治に店を出す、などという選択肢もありますよね。コワーキングでは、新型コロナが収束してある程度人が集まってくればビジネスマッチング等も出来るかもしれません。様々な事を行っていく中で「このエリアに店を出そう」「自分でビジネスを立ち上げてみよう」と思う方が現れたり、実際にインキュベートできる可能性もあると思います。

―様々な可能性が広がっているんですね!

宮城氏:もう一段階次のプロセスとしては、ワーケーションなどの可能性もあるかなと思っています。コロナ以前から徳島県神山町、奈良県東吉野村の様な自然豊かな場所で行われてきたのですが、宇治では「そこまで遠くにはなかなか行けない」という方の需要も取り込めるかもしれません。そうすると長期滞在の可能性も生まれてきます。どこまで実際に起こるか分かりませんが、今後増えてくる空き家を活用した長期滞在の施設がこの辺りに出来てもおかしくないな、などと考えたりもしています。また、もう少しサテライトで白川や炭山あたりでも良いかもしれません。そういったまちづくりを行う面白い場所が、いま山間部などを中心に日本中で生まれてきています。島根県江津市も先駆けてやっていましたし、少しリゾート寄りになりますが福岡県糸島市などもありますね。

―まちづくりにおいて、「デザイン」とはどのようなものだと考えておられますか?

宮城氏:まず、「デザイン」と言ってもファッションのデザインとまちのデザインはやはり同列のものではありません。その上で芸術性に寄っているものと、機能的なものがあります。これまでの経験上、それらのバランスがとても重要だと感じています。好みは人それぞれですが、たった一つのデザインによって良い物も台無しになってしまうと感じる事があります。デザインはそのまちのファーストインプレッションになり得る非常に大切なものです。

―デザインを考える際の基準はありますか?

宮城氏:まちづくりの話し合いの中で私達が一つ言っているのは「過剰に物をつくるのではなく、引き算でいこう」という事です。あまりに主張の強過ぎるデザインは、時代が変わるとマイナスになる事があります。個人的には派手なイベント等で一時的に盛り上げる、といった事もやめておきたいと思っています。持続的に、地に足ついたかたちで「また何度も来たい」と思ってもらえるまちにしていければと思います。宮城俊作先生はそれを「通う」と表現されていました。

―引き算のまちだからこそ、何度も訪れたくなるんですね。

宮城氏:一方である程度人が引き付けられるような、インパクトの残るデザインにしなくては、という部分もあります。若干デザインの方に寄っていてもギリギリでストライクゾーンの方がバッターが打ちにくい場所になりますし、反対にど真ん中ばかりだと凡庸なものになってしまいます。個人的に昔から言っているのは「最大公約数は求めない」という事です。「最大公約数」を求めると角が全て取れて丸くなり、どこにでもあるものになってしまいます。

―なるほど、面白いですね。勉強になります。それと同時にとても難しそうですね。

宮城氏:自分の中のアンテナが鈍ると微妙なところで外す事になると思うので、現在も常にアンテナを立てて色々な場所を巡るなど、努力はしています。自分の感覚が全て正しい訳ではないとも思っていますしね。

―これまでにも30年ほどかけて日本全国さまざまな場所を訪れてこられたとか。

宮城氏:50箇所ほどですかね。まちづくりの様々な事例も見てきました。第三セクターを使ったやり方でも長期スパンで見ると結局上手くいかなかったり、一企業に頼ると何かが起こった時に空中分解してしまったり。色んなやり方がある中で、100パーセント全員が満足するのは難しいと思いますが、店舗もまちの在り方も、出来るだけ大多数の人が少なくとも「あって良かったな」と思えるかたちにしていきたいですね。そして、そこをつくっていくのはこの取り組みなどに参加する人たちです。自分はセルをまわしてエンジンを掛けるところまでやってきましたが、後は必要な時に調整をするくらいで、主役はそこに乗っている人たちになります。

―まちづくりにおいて「人」とはどのような存在だと考えておられますか?

宮城氏:「まちづくり」と言っても結局まちをつくるのは人なので、やはり中心になるのは「人」です。このような言い方はおこがましいかもしれませんが、UDCUでの活動や拠点となる中宇治BASEが自ら「人」が育つ場になればと思っています。コワーキング、セミナー、ワークショップなどを通して参加者の方々がモチベーションを高めたり、それをきっかけに自分自身で考えたり、経験したり、新たな行動につながれば良いですね。既に撮影を行った取材動画にしてもそうですが、契機となるものをつくる事は非常に大切だと感じています。地道な作業ですが、そういったところから少しずつ広げていく事で、人の「人財」としての厚みが増していくのではないでしょうか。ハード面だけが先行してそこに魂が入っていないと駄目なので、こういった事も同時並行でやっていかないといけないと思います。

―今後まちづくりに関わる社会実験も行われる予定との事ですが、現時点ではどういった内容を考えておられますか?

宮城氏:宇治での人流の解析等を考えています。観光エリアの人の流れは昔と随分変わったと感じていますし、コロナ禍の状況も含めて今一度考えてみたいな、と。現状を踏まえた上で、最終的に点ではなく「面」としてのまちづくりを行い、人の流れを多様化させる事が出来ればと思います。

中宇治BASEの画像

今回のインタビューでは官・民・学でまちづくりに取り組む意義、長期的な視点でみたまちづくり、中心となる「人」、デザインの奥深さなど様々な事を考えさせられました。まちも人も、一見遠回りに見えるやり方でも周囲と上手く調和しながらやっていく方法を模索するべきかもしれない、でもそれがなかなか難しい、そこで知識、経験、組織の仕組み等が必要なのだと感じました。今後、中宇治BASEを中心にどの様な人々が出会いどの様な物語が紡がれていくのか、そして宇治のまちがどの様に変化していくのか―様々な可能性に溢れたUDCUの今後の展開から目が離せません。