以前の記事で「平成元年の宇治市」を振り返っていますが、今回は「平成元年の城陽市」を振り返ってみたいと思います。(資料元:「広報じょうよう」第615号~第660号)
平成元年1月23日の「市長と話すふれあい広場」では当時の「今道仙次市長」の案内で35名の市民がマイクロバスに乗りこみ「洛南浄化センター」にやって来ました。
「いま、この浄化センターから延々と城陽に向かって穴を掘ってくれているのですよ。来年4月には城陽の水もここまで来るのです」と市長。(予定どおり、翌年4月1日から一部地域で下水道が使えるようになりました。)
城陽市平川西六反にある府の工事現場では5階建てのビルがすっぽり入るという深い穴をのぞき、皆さん驚かれた様です。
5月2日には「山城青谷駅前」に憩いの広場を建設し、竣工式が行われました。市にとって初めての駅前整備です。壁には今道市長の自筆で伏見宮文秀女王の短歌が書かれています。~青谷の 梅咲きたりと ここかしこ 人まち顔に 鴬の鳴く~
7月には「鴻ノ巣山運動公園」の「アイリス イン城陽」が1周年を迎えました。利用者の声は「近くで、しかも安いでしょ。感激です」「宿泊してジョギングやナイタースポーツを楽しんでいます。最高ですよ」などなど。
10月2日には「アイリス イン城陽」の向かい側、同じく「鴻ノ巣山運動公園」の「市民体育館」に、当時の最新トレーニング器具16種を設置したフィットネスゾーン・トレーニングルームがオープン。エアロバイクやバストアップのコンビネーションマシンなどなど…。週3回インストラクターが配置され、評判は上々。
そして10月に、「青谷小学校」と「久津川小学校」がそろって「創立100周年」を迎える事になりました。
青谷小では創立記念日の10月18日朝、校門横で記念植樹、記念碑の除幕が行われ、式典の後は全校児童がグラウンドに出てメッセージを付けた風船を空に飛ばしました。
久津川小では10月22日、記念式典と記念碑の除幕が行われ、創立記念日の24日には全校児童が同じくグラウンドに集まり風船を飛ばしました。
ちなみに平成元年1月1日時点での市の人口は「84,733人」、世帯数は「24,780世帯」でした。(平成30年12月1日現在の人口は「75,060人」、世帯数は「30,087世帯」。人口は減っていますが世帯数は増えています。核家族化しているという事でしょうか。)
そのほか個人的に「おやっ」と思ったのは、当時の広報誌に「ウォーキング―と言ってもあまり聞きなれない言葉かも知れません。今、テレビや新聞でたびたび取り上げられている手軽なスポーツ。」とあったこと。今では当たり前の言葉も当時は珍しかったんですね。
今後も時代は変わり、今当たり前でない事が当たり前になっていくんでしょうね。平成の次がどんな時代になるのか楽しみです。
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